Family Art Day in Moerenuma Park ! ワークショップ開催に寄せて

親子で楽しむワークショップ午後の部へお越し下さいまして誠にありがとうございます。青森県出身、札幌在住9年目、美術作家の中嶋と申します。今回、withart主宰の本間真理さんからお誘いを受けて、私ができること伝えるべきことは何かと思いを巡らせました。「親子」というキーワードを復唱するうちに、私自身の芸術に対する考え方は両親からの影響がとても強いのではないかと改めて気付きました。少しだけその理由を述べさせていただきます。

私の幼少期は休日を家族で謳歌できるような環境ではなかったように思います。兼業農家でしたので、時間の許す限りは農作業のために山や畑に入っていたのです。当時、クラスの他の子らと比べて自分の置かれている環境との違いに悩んでいたこともあります。そんな私が小学生だった頃のある時、口数の少ない朴訥としたいかにも津軽の気風を持った父親が「自然にはなんでもあるから飽きないな」と突然呟きました。驚いた私はその呟きの意図を探る必要もないままに全幅の信頼を寄せたものでした。またあるとき、私が二十歳を越えて新米の農家としても美術家としても希望や挫折を抱いていた頃には「山はいい、何も考えなくていい」と、独り言のように、しかし、息子にしっかりと聞こえるように呟いていたのを聞き逃しませんでした。四年に一度ぐらいの、まるでオリンピック開催の周期に合わせたかのようにぽつりと呟くいずれの瞬間も農作業の休憩中の出来事です。私は「うん」としか答えようがないのでした。

今その記憶を思い出そうとすると、不思議ですが、現実感をなくして幻の世界に紛れていた映像が当時よりも鮮明にあらわれます。父親の声の残響に乗った風が草花の一葉一輪を余すことなく揺すり起こして山の斜面を駆け下りる、そんな映像です。そして、こんなことを考えている現在だからこそ言葉と現象、そして記憶と思惑を混ぜ合わせては想像力が心の中しっかりと結晶化されているような気がします。

決してああしろこうしろと強要されたことはありませんが、親が自己の感心をおもわず吐露する、そういった言動が他の知識や経験に先立って精神に深く沈み込み、いつどんな時でも開けられる引き出しに入った宝物として輝き続けているんだなと改めて思います。他人の言葉を飲込める時期に傍に偶然親がいた、ということだけなのかもしれませんが、それは子どもが成長した後、自発的に「自分とは何か」という問いを立てさらに進むべき道に足を踏み入れようとしているタイミングでそっと、静かに、優しく、背中を押してくれる宝物なのかもしれないと考えます。

2016年7月3日 中嶋幸治