diary

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2019年9月27日、夜の労働を終えた身体で北海道から宮城へ直行した。石巻市で開催されているリボーン・アートフェスティバル、及び個人的な旅へ。前回、仙台を訪れた時とはまた違った緊張感に包まれながら向った。空路、見慣れた東北の地を上空から眺めて地名や名称を想像するのも楽しいと思えるようになってきた。小さい頃から好きだった地図も地名も地形も、3月11日のあの日から見え方が変わったように感じている。…… 眠らなければ身体がもたないのに、どうしても見てしまう……。空から見る松島はうつくしい。そして、奥松島へは今回行けなかったが、また今度行かなければならない。その時は自らのルーツの一端を探る旅にもなるだろう。

仙台空港到着後、この地へ来ると必ず立ち寄る古書店「火星の庭」までは時間がなかったので、初めて訪れる駅構内の「立ちそば処 杜」で食事をすませてからベンチで少し休憩していた(食券を先に渡すシステムがわからなくてずっとそのまま並んでいました……。)仙台発の快速列車で石巻方面へ、石巻駅周辺にはレンタカーを借りるところが見当たらなかったため、最寄りの陸前山下駅で下車してレンタカー会社まで 十数分歩いた。

街並みも家並みにも新しさをたしかめる度に、複雑な気持ちが重なっていく。趣のある建物や厳かな日本家屋の佇まいとその庭先も見掛けた。宮城では白壁に黒の屋根を基調とした景観が目立つように思っていたが(めちゃ渋くて格好いい)、まちなかを歩いてみると、何気ない路傍の花壇の何気ない原色の花が新旧のモノの気配に映えている。景観に溶け込んでいる様子が非常にうつくしかった。光の要素を蓄えた園芸種が静かにたたずむ風景のなかをこのままずっと歩いていたいと思うぐらい好きになってしまった。その土地を視る他者の巨視と、地場の生活から立ちあがる微視が入り交じることによって大地は耕されるのだろうかと考えていた。(復興にさいして、景観を統一するために家屋の色合いを統一する方針を設けた自治体もあるようなので、景観づくりと地元の方々の生活の交点も含めて、折りを見て学んでみたい)

いつもの癖で、見えている道を全て歩いてみたい欲求を抑えきないまま歩いていると、遠くに見える公民館か体育館のような建物から微かに、ワルツのような3拍子のリズムを打つ音が聴こえてきた。歩を向けて、開いていた窓から中の様子を見掛ける。ふりふりのきらきらのドレスをまとった女性と背筋を伸ばしたタキシード姿の男性がくっついて見つめ合いながら回転していた。そのお二人を見守る方々の姿、真剣なまなざしも大勢見えた。社交ダンスだろうなあ。その光景を目にした時、まちが生きているような気がしたのはなぜだろうと今しばらく考えている。私が初めて見たものや感じたことは、そのまちの変わらない空気そのものではあるが、同時に、現在/明日/未来への好転と交歓の場だったのだと思う。地の力は人々が集う場で解放され、ただ通り過ぎようとしてた私という他者の元へ伝わる。そのような無関係の立ち位置から伝播される力が風景を起こし、そしてまたそれを伝えることによって立ち上がるものを文化とよぶのかもしれない。

この地に住まう方々への恐れ多い敬意が芽生え始める予感を制して、なめらかに(装って)音とダンスが反響する建物を通り過ぎた。旅の始まりのワルツに踊らされるように、流れるように歩いていたのかもしれない。感謝の意味も込めて書き残したいと思った。

宮戸島、野蒜海岸上空