Cast a cold eye/On life, On death/Horseman, pass by!

紙, オイルパステル, 木材, 練り消しゴム, カルテケース, 写真, アクリル材(2019年現在, 制作進行中)
風をまとったような制作を終えてから少し経つ。(「風と皮膚」あるいは「視覚と触覚」の意味の共生に心躍り苦労した制作だった)風は自然現象の1つであり古くから生活のあらゆる場面で喩えられてきたとても人気のある現象である。そのためか「あなたは風とか言わないほうがいいよ」とアドバイスを受けることも少なくはなかった。緻密な技法とこだわりを持った方法論が、観る人によっては一般的な穏やかな風と無縁の重い印象を与えていたのかもしれない。(《風のうろこ》2010)その後、芸術作品にタブーとされる「触感」と「ルール」を踏まえて、あえて触れることを容認しその証にサインをしていただくという作品を制作した。(紙は触れられてこその紙だと強く思う)(《風とは》2014)時を経てなお生まれ続ける紙上の微風。それは触れたご本人だけが感じられるのかもしれないし、後世にまで残る筆跡がまた誰かの手元を揺らす風の源となるかもしれない。
その後、改めて勉強し直さないといけないなと襟を正す機会に非常に多く恵まれた。自身が病に伏せがちになってしまった経緯も含めると、これまでの制作を見直す準備に入っていたのかもしれない。日常生活から振り落とされそうに感じていたある日、桜の木を見るために北海道神宮へ向った。5月のお花見シーズンの終盤だっただろうか、境内のモクレンの木を眺めていると「もう終わりの頃だね」と隣にいた女性が呟いた。立派な樹皮を黙って見つめながら「まだ終わっていない・・・」と静かに閃く自分がいた。それからすぐ、登山→神宮→参拝、これらを走って100回行おうと決めて翌日から決行した。自分が苦しい時にこそ誰かへの祈りを捧げたり願いを支えること、祈りの仕方が上手ではないために身の痛みを先行させて実感を得ようとしていたことも、物語の始まりと終わりは人間の尺度だと気付いたことさえ新鮮だった。 インターネットを通じて知り合った英文学の研究者Aさんからイギリスやアイルランドの文化を教えていただいた。Aさんはご自身が抱える重い病と必死に向合い、そして誰よりも人の幸せを願っている方だった。その姿勢に感銘を受けて、祈り方や走り方にも自信を持てるようになった。

Cast a cold eye
On life, On death
Horseman, pass by!

教えていただいた中で、アイルランドの詩人、ウィリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats, 1865年 – 1939年)のUnder Ben Bulbenという詩の最後の3行を黙読しながら走ることが増えた。通り過ぎる者と流れて行くものへの眼差しが腑に落ちたような気がしてたまらなかった。そして、鮮明で柔らかくて強い輪郭を保っていたような祈りへの視点が変わった。

100の目的を終える直前、家族が病に倒れた。目的を終えた後、故郷と札幌を往復することになった。出先の空き時間やバスや新幹線の車内でも「描ける絵」を描き始めていた。制作そのものの仕組みを変えなければならなかった。始めの頃の絵は山を走っていた時の風景の融解を目指して描いていた。汚れないためにA4サイズの紙を2つ折りにして、半分の表面にオイルパステルで描きあげた後に折り畳む。それを繰り返していた。そんな中で、家族の手術が終わった直後に医師から現状と今後の方針について説明があった・・・。その時の体験が元になり、描きあげる絵のスピードがおそろしく速くなった。

2つに折り畳んでいた紙を広げてみると、表面のオイルと僅かな色素が片面に付着していた。祈りは・・・、かたちを変え、移るのだろうか、届くのだろうか。まだまだ何もわからないなりに描き続ける日々がある。

「物語のかけら」に寄せて 2018年11月

photograph by Meta Sato, Junei Inoko